【キングダム】は史実通り?原作と史実との違いは?実在するキャラは?今後の結末を史実から予想!

「キングダム」は史実通りなのか、原作と史実との違いについて気になる方も多いのではないでしょうか。

「キングダムは史実通り?原作と史実の違いは?」

「キングダムに実在するキャラは史実にも実在?」

「キングダムの滅びる順番は史実によるとどうなる?」

今回はキングダムの原作と史実との違いや同じところ、原作で滅びる順番を史実から予想してみました。

早速見ていきましょう。

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目次

【キングダム 】は史実通りなの?

キングダムの原作の内容は史実通りなのでしょうか。

調べたところ、キングダムは全てが史実通りではなく、オリジナルな部分もありました。

詳しく見ていきましょう。

史実通りの部分もオリジナルもある

キングダムは全てが史実通りではなく、オリジナルな部分もあります。

キングダムの物語の元となっているのは、中国の戦国時代です。

500年続いた春秋戦国時代と言われた時代を始皇帝「嬴政(えいせい)」が中華統一をさせた時代が描かれています。

そんなキングダムですが、主要なキャラは史実に実在するパターンが多く、女性キャラが史実では男性といった性別が異なる点が見られます。

ですので、中国の戦国時代の歴史に興味ある人もない人も一度読んでみたらみんなが面白いと思える漫画です。

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【キングダム 】と史実との違いは?キャラは実在する?

キングダムの原作にいるキャラは史実にも実在するのか気になる方も多いのではないでしょうか。

実際に史実に実在するキャラと実在しないキャラをまとめました。

史実に実在する 史実に実在しない
  • 信(しん)
  • 嬴政(えいせい)
  • 羌瘣(きょうかい)
  • 楊端和(ようたんわ)
  • 桓騎(かんき)
  • 王騎(おうき)
  • 李牧(りぼく)
  • 龐煖(ほうけん)
  • 麃公(ひょうこう)
  • 廉頗(れんぱ)
  • 蒙驁(もうこう)
    • 河了貂(かりょうてん)

    主要なキャラの史実と原作との違いを解説していきます。

    信(しん)

    キングダムの主人公である信(しん)は、史実でも存在します。

    漫画での信(しん)は、戦争孤児で下僕から戦争で武功を上げ将軍になるという人物です。

    史実上での信は、李信(りしん)という将軍で、始皇帝となる嬴政(えいせい)に仕えていた武将で、信頼もあったとされています。

    李信(りしん)は、年は若くて勇敢な将軍だったようです。

    >信は死亡した?龐煖との死闘の結果は?

    嬴政(えいせい)

    キングダムの若き王である嬴政(えいせい)は、史実でも存在します。

    戦国時代後期の中国の始皇帝です。

    秦国の王となった始皇帝・嬴政(えいせい)は武力で隣国する国を攻め落とし、紀元前221年に中国の天下統一を果たした最初の王です。

    人質として趙国で生まれ育ち、わずか13歳という若さで王位につきます。

    羌瘣(きょうかい)

    キングダムの伝説の暗殺集団・蚩尤(しゆう)の末裔である羌瘣(きょうかい)は史実でも存在します。

    キングダムの原作で、羌瘣(きょうかい)は女性ですが、史実では男性か女性か記録がありません。

    おそらく将軍として活躍しているならば、男性だと考えられますね。

    史実の羌瘣(きょうかい)は、原作とは違って1人で何百もの兵を斬ったり、龐煖(ほうけん)のような大男を一刀するなどの活躍はしていません。

    羌瘣(きょうかい)は、王翦(おうせん)や楊端和(ようたんわ)と共に秦国が中国統一をするため、趙国を滅ぼしています。

    また、燕国を攻略するため、趙国と燕国の境近くに駐屯していたとされています。

    羌瘣は死亡した?禁術使用で寿命が縮まる?

    河了貂(かりょうてん)

    キングダムの飛信隊の軍師である河了貂(かりょうてん)は、史実に存在していません。

    河了貂(かりょうてん)はキングダムのオリジナルキャラクターのようです。

    キングダムの原作オリジナルキャラの河了貂(かりょうてん)は黒卑村に住んでいた、「梟鳴(きゅうめい)」という山民族の末裔です。

    >河了貂は死亡する?フラグを3つ解説

    楊端和(ようたんわ)

    キングダムの山界の王である楊端和(ようたんわ)は、史実でも存在します。

    キングダムの原作で、楊端和(ようたんわ)は女性ですが、羌瘣(きょうかい)と同じく、女性とも男性とも史実上には残されていません。

    史実の楊端和(ようたんわ)は中国春秋戦国時代、秦国の将軍で秦王・嬴政(えいせい)に仕えていて、趙国の鄴攻めを将軍として参戦し、天下統一の一歩を進めました。

    紀元前229年に趙の都邯鄲を攻め、翌年の紀元前228年には陥落したことで趙国の滅亡となっています。

    楊端和(ようたんわ)は、趙国を滅亡させて功績を上げています。

    この後の楊端和(ようたんわ)の史実上の記録はありません。

    >楊端和は死亡した?史実での死因とは?

    桓騎(かんき)

    キングダムの秦国の大将軍で首斬り桓騎(かんき)の異名を持つ桓騎(かんき)は、史実でも存在します。

    史実の桓騎(かんき)は、紀元前237年に秦国の将軍となっており、翌年に王翦(おうせん)や楊端和(ようたんわ)と一緒に趙国の鄴をせめて落としています。

    紀元前234年には趙国の平陽・武城で敵将を討ち、その他趙国の兵たち10万を斬首したと記録があるようです。

    紀元前233年には再び趙国を攻め平陽と武城を平定したものの、趙国の大将軍李牧に「肥下の戦い」で敗れたと記されています。

    >桓騎(かんき)は死亡した?最後のシーンが泣ける

    王騎(おうき)

    キングダムの六大将軍最後の生き残りである王騎(おうき)は、史実でも存在します。

    キングダムで描かれてるような、武将なら誰もがあこがれる天下の大将軍というような功績などは史実にはありません。

    史実に残っている王騎(おうき)は蒙驁(もうこう)・麃公(ひょうこう)と共に、紀元前246年に始皇帝・嬴政(えいせい)から将軍に命じられました。

    紀元前244年に蒙驁(もうこう)が、韓の13の城を攻めた年に死亡したと記されています。

    他に残されてる記事はなく、別の史実に王齕(おうこつ)の史実が王騎(おうき)と同一人物ではないかと言われています。

    >王騎は死亡した?誰に殺されたのか戦いの結果を解説

    李牧(りぼく)

    キングダムの三大天の一角を成す李牧(りぼく)は史実に実在します。

    史実によると李牧は、趙国の北方にある代郡等で駐屯していた国境軍の長官でした。

    北方での功績が認められ、紀元前233年に幽繆王(ゆうぼくおう)から大将軍に任命されることになります。

    秦国が宜安を攻めたとき、李牧(りぼく)はこれを破り桓騎(かんき)将軍を討っており、原作と同じ展開なのです。

    李牧(りぼく)が守っている趙国は落とすことができないと悟った秦国は「李牧(りぼく)は謀反を起こそうとしている」と噂を流しました。

    噂を信じた趙国の王は李牧(りぼく)を将軍から外そうとしましたが、それを拒否します。

    従わなかった李牧(りぼく)は捉えられ死亡しました。

    >李牧は最後死亡する?史実の死因が現実に?

    龐煖(ほうけん)

    キングダムの三大天の一角を成す龐煖(ほうけん)は史実に実在します。

    史実での龐煖(ほうけん)は、趙国の悼襄王(とうじょうおう)の時代に活躍した将軍です。

    キングダムの原作のように山ごもりをして武の道を極め「武神」と言われるような将軍ではありません。

    史実では趙国・楚国・魏国・燕国を引き連れて、秦国の奥深くまで攻め込んでいましたが蕞城を落とすことができず、退却しています。

    >龐煖は死亡した?信との最後の戦いを解説

    麃公(ひょうこう)

    キングダムの秦国の大将軍である麃公(ひょうこう)は、史実に実在します。

    史実に記されている内容は少ないですが、紀元前246年に秦王・嬴政(えいせい)から将軍に任命されています。

    また、韓を攻め入って、3万人を斬首したと記録があります。

    キングダムの原作のように、本能型の将軍で戦場をみながら動き無茶をするような武将と言えるようなことはなかったようです。

    >麃公(ひょうこう)は死亡した?龐煖との戦いの結末を解説

    廉頗(れんぱ)

    キングダムの元三大天の1人である廉頗(れんぱ)は史実に実在します。

    紀元前283年に将軍となり、斉国の昔陽をとり翌年にも陽晋を落としたことで功績が認められ有名となります。

    廉頗(れんぱ)が総大将を務めた「長平の戦い」が2年近く続き収束させようと趙国の王が総大将を廉頗(れんぱ)から趙括に交代したところ趙国は負けてしまいました。

    勝利した秦国の総大将白起は、降伏した兵の40万人を生き埋めにしたのです。

    廉頗(れんぱ)が総大将続けていたら、40万人の生き埋めは無かったのかもしれません。

    蒙驁(もうこう)

    キングダムの白老の異名を持つ蒙驁(もうこう)は、史実に実在します。

    蒙驁(もうこう)将軍は、史実ではかなり活躍していた将軍のようです。

    斉の出身であり、秦は移ってきたとされています。

    史実の蒙驁(もうこう)将軍は秦王・嬴政(えいせい)から将軍に任命され、韓の城を13個・魏の城を20個を落とし平定しました。

    紀元前241年に函谷関の戦いで指揮をとったという説があります。

    函谷関の戦いは、秦国VS趙国・楚国・魏国・燕国という過酷な戦いだったはずですがこの戦いに勝利しています。

    函谷関の戦いを指揮していたのであれば、かなりの凄腕の将軍だったということになります。

    キングダムの原作である蒙驁(もうこう)は、六大将軍とは違い温厚で勢いの無い将軍のイメージではありますが、1番長生きした大将軍です。

    函谷関の戦いの翌年(紀元前240年)に死亡しています。

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    【キングダム 】史実に合従軍の戦いは存在する?

    キングダムには合従軍の戦いが描かれていますが、史実には合従軍の戦いは存在するのでしょうか。

    実は史実にも合従軍の戦いは記録が少しあり、漫画でも同じように秦国は他の5か国から攻め込まれています。

    史実の記録は少ないですが、キングダムと史実に違いがあるのか、同じなのかを解説していきます。

    史実では合従軍の記録はほとんどない

    史実では中国の500年続いた大戦争時代「春秋戦国時代」にあった合従軍の記録はほとんどありません。

    合従軍と言われている戦争は、秦 対 趙・韓・魏・燕・楚の戦いです。

    秦国の国門である函谷関を攻め落とし、秦国を滅ぼす目的とされていました。

    合従軍側の総大将は、春申君(しゅんしんくん)で史実でもキングダムでも一緒です。

    李牧(りぼく)は、史実では参戦しておらず、この時は代群で国境軍の長官をしていました。

    キングダムでは、合従軍を起こしたのは趙国の宰相・李牧(りぼく)で秦国の中華統一をさせないために、各国の王を説得し合従軍を興した張本人です。

    斉国も合従軍に参加する予定だったのを、秦国の蔡沢(さいたく)の外交の力で斉国の王・王建を説得をして不参加とさせました。

    史実でも、斉国が合従軍に参加していませんがキングダムの蔡沢(さいたく)のような外交官が説得したとの記録はありません。

    函谷関の戦いの詳細も史実には記録がなく、秦国対5カ国となった合従軍は函谷関を落とす戦いは同じです。

    キングダムの原作では、王翦(おうせん)対オルドの心理戦で王翦(おうせん)が勝利、蒙武(もうぶ)対汗明(かんめい)の一騎打ちで蒙武(もうぶ)が勝利しました。

    また 媧燐(かりん)対騰(とう)、蒙驁(もうごう)対呉鳳明(ごほうめい)の戦いとなります。

    15日目に大きく動き出した戦いは、函谷関の裏を取った媧燐軍に心理戦で勝利した王翦軍に後ろを取られ敗訴し秦軍は函谷関を死守したのです。

    その頃、李牧(りぼく)は函谷関を抜けないことを考えて、別の方法で秦国侵攻することを考えていました。

    それが史実でもある南道から抜けて、秦国の王都・咸陽の手前にある蕞城を攻め込みます。

    史実では、蕞城の攻め込みは龐煖(ほうけん)が指揮をとりましたが抜けることができなかったと記されています。

    函谷関と蕞城の攻めみが失敗に終わり、史実もキングダムも合従軍が撤退し秦国が完全勝利で終わりました。

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    【キングダム 】の史実上での滅びる順番は?

    史実の滅びる順番は、韓→趙→魏→楚→燕→斉です。

    詳しく見ていきましょう。

    紀元前230年 秦国が韓を滅ぼす

    騰(とう)が韓を滅ぼし功績を上げていました。

    韓非が執筆した「韓非子」を嬴政(えいせい)が法治国家を目指す秦国には必要な内容と気に入ってます。

    紀元前228年 秦国が趙を滅ぼす

    王翦(おうせん)が王都・邯鄲を攻め落としています。

    李牧(りぼく)がいる以上落とせないと思った王翦(おうせん)は趙国の王・幽繆王(ゆうぼくおう)に「李牧は謀反を考えている」と嘘の噂を流します。

    信じた幽繆王(ゆうぼくおう)は李牧(りぼく)を処刑した3ヶ月後に趙国は秦国に滅ぼされてしまいました。

    紀元前225年 秦国が魏を滅ぼす

    王翦(おうせん)の息子・王賁(おうほん)が魏を滅ぼします。

    魏国近くに流れる黄河を利用して籠城し追い詰められて3ヶ月後に城が崩壊、魏王假(ぎおうか)は捕虜にされました。

    紀元前223年 秦国が楚を滅ぼす

    一度目は、李信(りしん)と蒙恬(もうてん)が攻めますが大敗します。

    王翦(おうせん)が60万の軍を引き連れて攻め込み楚国を滅ぼしました。

    この戦いでもともと楚の王子だった昌平君は楚の王となって王翦軍と戦いますがなす術なく戦死してしまいます。

    紀元前222年 秦国が燕を滅ぼす

    趙国の王だった代王は燕国と一緒に、嬴政(えいせい)の暗殺計画をします。

    失敗に終わると嬴政(えいせい)は王翦(おうせん)と李信(りしん)を燕国へと出陣させます。

    燕国王は息子の首を差し出し延命しましたが、趙国・代王は捕虜にされました。

    紀元前221年 秦国が斉を滅ぼす

    王賁(おうほん)・李信(りしん)・蒙恬(もうてん)が斉国を攻めます。

    斉国の王・建は抵抗することなく捕虜とされ、斉国は滅びたのです。

    史実上での滅びる順番は、韓→趙→魏→楚→燕→斉でした。

    キングダムの原作でも同じように描かれるのでしょうか。

    原作はオリジナルの部分もあるため、最終回まで非常に楽しみですね。

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    【キングダム 】史実による今後や結末はどうなる?

    キングダムはほとんどが史実に基づいて描かれていますが、今後はどのような結末となるのか史実から予想していきます。

    現在のキングダムでは肥下の戦いで桓騎(かんき)将軍が討たれた後、騰(とう)が韓の王都・新鄭(しんてい)に出向き韓非子(かんびし)を秦国・咸陽に迎え入れるようにと命じられます。

    騰(とう)は李信(りしん)を連れて韓に向かい新鄭(しんてい)に入ったところですが、この後どうなるのかです。

    史実では騰(とう)が韓を攻め入って滅ぼすと記されています。

    秦国か中華統一に向けて韓を滅ぼせば、その後9年かけて順番に各国を滅ぼしていくストーリーになるのではないでしょうか。

    キングダムの今後の展開か非常に楽しみですね。

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    【キングダム 】史実に関するまとめ

    今回はキングダムは史実通りなのかまとめました。

    調べた結果、キングダムの原作は全てが史実通りではなく、オリジナルな部分もありました。

    キャラの原作と史実との違いまとめ

    史実に実在する 史実に実在しない
    • 信(しん)
    • 嬴政(えいせい)
    • 羌瘣(きょうかい)
    • 楊端和(ようたんわ)
    • 桓騎(かんき)
    • 王騎(おうき)
    • 李牧(りぼく)
    • 龐煖(ほうけん)
    • 麃公(ひょうこう)
    • 廉頗(れんぱ)
    • 蒙驁(もうこう)
    • 河了貂(かりょうてん)

    史実の滅びる順番は、韓→趙→魏→楚→燕→斉です。

    キングダムが始まってから約10年ほどが経ちますが、まだ1つの国を統一させていないため、史実での内容のまま進むのであれば今後韓を攻め込むようになるでしょう。

    キングダムはオリジナルなども含まれていますが、今まで以上に感動のあるストーリーに期待したいですね。

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